映画「クワイエット・プレイス」のレビュー及び感想です。
『パラノーマル・アクティビティ3』(2011年)以来の快挙として、オープニング興収が5000万ドルを超えている。ホラー映画として全米では記録的なヒットを成し遂げた映画。
「音を立てたら死ぬ。」
こういったルールに基づいて進行していくホラー映画は数多く存在する。
最近であれば「ドント・ブリーズ」がそうだ。
盲目の老人が家に忍び込んだ盗人たちを懲らしめ無双する映画だ。
音を立てた瞬間に殺害されるさまは、想像力によって恐怖が増幅させられる。
さて、本作のテーマと同様だが何が異なるかと言えばスケール感である。
「ドント・ブリーズ」が屋内だけなのに対して、「クワイエット・プレイス」は世界規模で音を立ててはいけない。
終盤になれば屋内の抗争のみになるのは残念だが、この設定がこの映画の根源として「音のない世界」を演出している。
「その時間だけ音を立ててはいけない」のではなく「生きている間はずっと」音を立ててはいけないのだ。
そのため、日常生活における些細なアクシデントもそれが「死」に直結する様子は、非常に興味深く面白い。
敵だけではなく、「音=敵」として恐怖を表現することに極めた手法で、観る側を飽きさせない。
そして家族は音を立てず、協力し、普段の生活を取り戻していく。
これだけなら大変面白い映画なのだが、いかんせん設定がガバガバで突っ込むところが多い。
それを抜きにしてみれば大変興味深い映画であるが、一般的に映画を楽しみたいという客層にはどう評価されるのか。
映画好きや一部の映画マニアには、このこだわりが分かる私スゲー的な立ち位置で評判は良いかもしれない。恐怖には音がつきものという設定を壊し、静寂さの中に恐怖を生み出す試みが新しく、そこは良い。
しかしながら、「今のところは」何度も繰り返して見たいという作品では決して無い。
わざとこういった伏線や矛盾を残して次回に活かす、というのであれば次回に向けての巧みな宣伝と言えるだろう。
いずれにせよ、次回作は期待せずにも観たい作品ではある。
以下はネタバレを含む
後半になると、子どもを孕み出産する準備をすることで物語が進む。
「子どもなんて作らなければ良いのでは」というのはあまりにも稚拙な意見であるが、確かにそれはそのとおりだ。
この状況の中、それでも人類は生き延びるために、この家族は代表として出産するという選択を選んだというのであれば、多少のムカつきを覚えるが消化できる範囲である。
要するに監督は一番騒音に苦しむのは、結局は人間が生まれることであり。この生物は「人間を生み出す」ことを食い止める、つまり人類を滅亡させるのに特化したものなのだ―ということなのだろう。
しかしながら、音を意図的に出し続ける対策や(川に住めば良いのでは)、そもそも弱体化しショットガンで殺められる程の強度のモンスターであれば、それこそ武力を持って壊滅させられることは十分可能である。
せっかくこの世界観が美しく表現されている中でこのガバガバな設定は頂けない。
周波数をマイクで増幅させハウジングで弱らせるとか、マイクで増幅とか思わず笑ってしまった。監督はマサチューセッツ卒。
なぜあまりにも不可解な設定を無理やりこじつけてしまったのだろうか。
流石に視聴者の中には突っ込まずにはいられない人もいるだろう。
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